このサイトでは、苦手な人が最初に見たときに「ん?」と思うようなところは極力排除しています。
みんな教科書や授業やワークを目の前にして混乱しているから、その混乱をとく役割のつもりです。
例えば、数学の関数の章では普通「どれが関数でしょう」という問題が最初にあります。
だけどこのサイトでは省いています。その順番だと分かりにくいからです。
勉強が得意な人だって最初は「ん?」ってなるところです。だけど進んでいくうちに「結局そういうことね」と分かる。
でも勉強が下手な人はそれがわからない。最初に見た難しそうな感じがずっとぬぐえない。
ある意味で素直なんです。「え、だって最初の説明難しかったし」と、もう先に進んでるのにいつまでも「分からない」から抜け出せない。
あのね。
目の前にわからないことがあるとします。
例えば、「なんだろうこれ」と思ってじっくり考えたりすること。
例えば、とりあえず何か動いてみて、たくさん回り道をして、いつかそれもよかったなとかあれは失敗だったなとか思えること。
こういう、答えを聞かずに自分で考えて迷う経験「自体」に価値があることを、僕は一応知っています。それが結果的に成功だろうが失敗だろうがです。
混乱自体に価値があるから、だから君の混乱をとくことは余計なお世話だとも言えます。
だけど、学生の中に、ただ今の成績が悪いくらいで「自分は勉強ができない。怒られるし、頭が悪い。何もできない」と思っている人があまりに多いことも知っています。一言で「ネガティブだね」では片づけられないような感情です。
何もできないなんて、それは違うよって僕は言いたい。だからこのサイトを作ったんです。
前述したけど、みんなが苦手なのは「勉強のしかた」であって「勉強」ではないということです。
勉強のしかたがわからなかったんだから、しかたをこれから身につければいいだけです。
これからは自分で考えないといけないことがたくさん出てきます。というかそればかりです。
このサイトを頼ってくれている人にとってはこのサイトに載っていないこと。塾に行ってる人にとっては塾で扱いきれないこと。
高校から先の、専門学校や大学に行けば塾自体もありません。苦手でも自分でテキストを読んで手を動かさないといけません。えーわかんないーって文句をいえる先生もいません。
その先で仕事に就けば、「これを見てやっておいて」と言われることもあるはずです。
これって、学校の授業で問題を解いた後に「この通りに類題やってみ?」って言われるのと同じじゃないかな。
勉強のしかたがわからない、テキストを読もうとする力もわかない、ということはこれからずっと困ってしまうということかもしれないんです。
このサイトでは、これから先も必要になるはずのその力を、具体的な数学や英語の単元を通して身に付けていくのが目的です。
簡単にいうと、将来は自分一人でだって勉強できるようになるのが目的。
だって、勉強の「しかた」がわかれば、どんな科目だってある程度はできるようになるはずでしょ?
今からだって本当は、自分で迷うのは大事なんです。その経験自体が大切。
自分で何とか解決策を見つけて、動いてみること。これが大事なのは確かです。
でもみんな、自分は何もできないと思っているから、手を動かすことができない。
何も始められないから、迷うことすらできない。途方に暮れているんです。
町の中。
町のみんなが何かに乗っています。
何人も何人も通り過ぎていく。
自分の目の前には倒れた何かがあります。
これはどうやらみんなが乗っているのと同じっぽい。
自転車って言うらしい。
自分もどこかへ移動してみたい。
でも今までのみんなはここでおしまいでした。
自分にはこの何かを起こすこともできない。
起こしたとしても乗ることなんてできない。
乗れたとしてもどうせすぐ転ぶし、みんなみたいにさっそうとは走れない。
これは勉強に対するみんなの思い込みと一緒です。
「えー、とりあえず起こしてみればいいのに」って思わない?
なにその劣等感って思うでしょ。
でもそれが、途方にくれるということです。
動けないことしかできないと思っちゃうんだよね。
だからこのサイトが、僕が補助輪になります。
はいそこ。恥ずかしいとか言わない。
君がこのサイトを見たときがちょうど自転車を起こした場面です。
補助輪の設置は僕がやっておきました。(瞬間的にね)
あとはただ、またがって、そしてこいでみよう。
自転車をこげる(問題が解ける)ということがどういうことなのかをまず知ってみよう。
そこで見た景色、そこで知った感覚が、これからの君の生活にずっと寄り添ってくれるはずです。
永遠の補助輪なんてないの。
どうせ外れるから、安心してこのサイトに浸かってください。